加太の実家を訪れるのは久しぶりだった。
大きくなった浩也を見て祖父は目をしばたたかせた。ニキビひとつ無い色白の肌、短髪に濃い眉毛が精悍に浩也の顔を引き締めている。祖母が目を潤ませて浩也を居間に招き入れた。
「今から話すことは誰にも内緒にしとけっしょ」
祖父は腰を降ろすなり、神妙な面持ちで口を開いた。
「亮作は海で死んだんやしょ」
浩也の眉がピクリと動いた。母からは仕事場での事故と聞かされていた。
「それも、雑賀崎の沖や」
えっ! と浩也は声を上げた。
母の居なくなった場所と同じだ。祖父は懐かしむような表情で話しを始めた。
祖父は、亮作が高校を卒業する時、漁師を継がせたいと数百万円もする釣り船を亮作に買い与えた。だが、亮作は漁師になることを拒んだ。漁師では金持ちにはなれないと言うのが理由だった。
亮作は、これからは企業だと言って、紀ノ川河口に林立する住友金属に入社した。亮作は間もなく林重彦と言う男と出会う。
林は九州の長崎県出身で、炭坑の閉山に伴い和歌山に出てきたとのことだった。この頃は各地で炭坑の閉山が相次ぎ、全国で炭鉱労働者の鉄工業への転職が起こっていた。林も多くの仲間と共に和歌山住金に転職した一人であった。
釣り好きの林は、亮作が釣り船を持っていることを知ると、釣りに連れて行ってくれと頼み始めた。亮作はあまり乗り気ではなかったが、林があまりしつこく頼むので一度加太の沖に釣りに連れて行った。
林はたいそう喜び、お礼をしたいからと言って松江にある自宅に亮作を招いた。林の自宅は通称九州人街と呼ばれる地区で、九州から住友金属に働きに来た人たちが集まって住んでいるところだった。
林家を訪れると、そこに亮作と同じ年頃の綺麗な女が居た。林の一人娘友子である。亮作は友子に一目惚れをした。
翌日になると、今度は亮作の方から林に釣りに行くことを誘った。亮作の目的は友子にあった。亮作と林は釣りを通して懇意になった。そして、亮作は思惑通り友子と親交を深め二人は結婚した。
浩也も生まれ三年ほど平穏な結婚生活が続いたある日、亮作から潜水士を紹介してくれと言う相談が祖父にあった。
祖父は亮作が密漁でもするのではないのかと心配し、目的を訪ねた。亮作は密漁ではないと笑い飛ばしたが、結局目的は答えなかった。相談口調が終始楽しそうなので悪いことではないだろうと、祖父は親しい潜水士を紹介した。
それが亮作の亡くなる一月ほど前のことだった。
丁度その頃、スーパーマーケットで祖父母は林重彦と出会した。亮作と釣りに行っていますかと尋ねると、相変わらず休みごとに行っているとのことで日常に変化はない様子だった。
数日後、亮作の釣り船が無人のまま雑賀崎の沖で発見された。
捜索から一週間後、埋め立て護岸のテトラポットに漂着して引っかかった亮作の遺体が発見された。死因は溺死。
昼間には目撃情報がないことから、夜出航して転落したのではないのかと言うことだった。十一月と言えば、チヌの夜釣りの時期ではある。が、不思議なことに釣り道具は家に置かれたままであった。そして、相方の林には声を掛けていなかったのである。
亮作は酒が好きだったので、船上で深酒でもして誤ったのかとも思われたが、体内からアルコール類は検出されなかった。
亮作は何のために暗い夜に一人船を出したのか?
ひとつだけ気にかかるものが、亮作の着ていたジャンパーのポケットから見つかった。
ホームセンターなどで売っているチャッカマンである。レバーを引くとライターのような炎が出る道具。普通はポケットなどに携帯するはずのないものだ。
水上警察も不思議がっていたが何のためのものなのかはわからなかった。少なくとも船上で必要なものではない。友子に訊いても全く見覚えのないものであった。
結局チャッカマンは謎のままだったが、何かを解く鍵に鳴るほどの発見物にはならなかった。検死の結果は転落による溺死とされた。
祖父は釣りではないと思った。直ぐに潜水士のことを思い出し話を訊きに行った。
潜水士は亮作が死んだことを聞いてたいそう驚いた。祖父の問に潜水士は沈痛な面持ちで口を開いた。
亮作からの相談とはなんと宝探しであった。
潜水士は、江戸時代の海賊が隠した数十億円もの金銀宝を海底から引き上げて欲しいと亮作に頼まれた。
亮作は根拠となる宝の地図らしきものを持っていたという。
潜水士は、あまりにも話が馬鹿らしいので直ぐに断った。亮作は何度も頼みに来たが潜水士は断り通したという。
祖父は、自分の息子が宝探しの最中に不幸にあったなどと思いたくはなかった。また、世間に知られたくはなかった。
潜水士には、宝探しの話は誰にも言わずに忘れて欲しいと頼みこんだ。祖父は、その後の警察の事情聴取でも宝探しの話は一切出さなかった。
祖父はそこまで話すと項垂れた。
「おじいちゃんなあ、浩也から電話もろうた時に亮作の事思い出してなあ、状況が似てるなあって思うたんやしょ。まさか友子さんまで同じ事をしてどうにかなったんやないのかと。でもおじいちゃん、そん時は浩也には言わんほうがええのやないかと思うたんや。後でおばあと話したら浩也ももう子供やないし、ワイらの知ってることは全部話ししといたらどうやろかということになってなあ」
と祖父は目を潤ませた。
「うん、おじいちゃん、おばあちゃん話してくれてありがとう」
浩也が頭を下げると、祖母はハンカチで目を覆った。
浩也は母のフリースにあった古い紙を思い出した。
祖父母の家を出ると、浩也はまたその紙を取り出した。
はらりと黄色の付箋が風に舞う。浩也は慌てて付箋を拾った。さっき取り出した時には気付かなかったがポケットの中には付箋も入っていたのだ。
拾い上げた付箋に浩也の目は釘付けになった。
「十一月五日神無月四時、十一月十一日朝六時」
付箋にしっかりとボールペンで書かれてあるのは間違いなく母の字。
浩也は手が小刻みに震えた。
十一月五日は、母が居なくなった日だった。
ガバチャのひとり言
3月3日の雛流しで有名な和歌山市加太の淡島神社。
小舟にたくさんの人形を乗せて海に流すあれです。
毎年テレビでやりますよね。
ボクもいろんな神社に行ったけど、この神社が背筋ゾクゾクのインパクトナンバーワンでした。
おびただしい人形に、後ずさり~

さらに境内の奥に進むと、文面には表現出来ないモノがてんこ盛りに陳列されていて・・・コンプレックスでその夜寝付き悪かったッス。
淡島さんは安産の神様でもあるそうで。
神社というよりかは、ミニ・テーマパークとでも言ったほうがよいのでは。
そんな淡島神社をみなさんも一度訪ねてみませんか。
写真、もういっちょう。ヒェ~

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小説「神無月の頃」 その3
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「ぼくにはなんの手がかりもないのです」
浩也は訴えるように眼差しを向けた。
「ワイやって知るかぁ。だいたい、心中やからって保険金もおりんのやど。おやじもうかばれんわ。帰りやがれっ」
勇一は、唾を飛ばして浩也を追い返えした。
家の中から杖をついた老婆が現れた。老婆は浩也の顔をまじまじと見ると、たまらずすすり泣いた。勇一は舌打ちをすると嫌悪感を露わにしてそそくさと家の奥に消えていった。
入れ替わるように、若い女が出てきた。
やはり長身だが、勇一のように陽に焼けてはいない。肩にやっと届く髪は淡い栗色に染められていた。姉にしては勇一と全然似ていない。
女は泣き腫らしたのか色白の目元が赤らんでいた。浩也に近づくと、女は手に下げた大きな紙袋を差し出した。
「これ、船の中に置いてあったんやけどあんたのお母さんのとちやう」
女はか細い声で言うと、紙袋からベージュのフリースを少し出して見せた。
間違いなく母のものだった。浩也は頷くと女の差し出した紙袋を手に取った。
「あの、お母さんのことについて何か知りませんか?」
浩也の問に女は黙って首を横に振ると、老婆を介抱しながら家の中に消えていった。
結局貴志の家からは何の手がかりを得ることも出来なかった。駅に向かう浩也の身体を浜風が冷やす。浩也は母のフリースを取り出して羽織った。ファスナーを全部上げると、首をすぼめて前襟で口を覆った。母の匂いやぬくもりまでも未だ残っているような感じだ。駅のベンチに腰掛けた浩也は目を閉じた。幼い頃からの母との思い出が、断片的に浮かんでは消える。
ふと内ポケットに何やら感触を得た。取り出すと、折りたたまれた古びた用紙だ。全体黄ばんで朽ちている。広げてみるとミミズのはったような文字や図のようなものが書かれてあった。母が何故こんなものを持っているのか、これが何なのか、浩也には全くわからなかった。
目を凝らして眺めていると浩也の携帯が鳴った。加太の祖父からだった。直接会って話したいことがあるとのことだ。浩也は、その足で加太の父方の実家を訪ねることにし、反対側のホームに移動した。
二里ヶ浜から加太までは十分ほどの距離だ。
父方と言っても、浩也の父亮作は浩也が生まれて間もなく亡くなっていた。不慮の事故だった、と母は詳しくを語ってくれなかった。
父の実家は漁師町の加太の端っこだ。加太は南海電車加太線の終着駅。浩也が母と二人暮らしをしていた西庄から、電車で二十分ほどの距離だ。その途中に貴志の西脇がある。
父が亡くなった後も、浩也は母に連れられてよく加太の実家を訪れた。
小学三年にもなると浩也は一人電車に乗って、祖父母の家まで行けるようになった。特に夏場、海水浴場の近くにある実家に数日泊まり込むこともあった。
その頃、浩也は何度か父のことを祖父母に尋ねたことがある。祖父母は浩也がもう少し大きくなったら教えると言葉を濁した。
母が行方不明になってから、浩也は妙なことが気になっていた。
それは父の命日が十一月四日で、母のいなくなったのが十一月五日と似通っていることだ。
藁をも掴む思いの浩也は、数日前に父方の祖父に電話でその事を話した。祖父は、「亮作が呼んだんかもしれなっしょ」とだけ言ってすすり泣いた。
浩也はきっと祖父が気を落ち着けて、何か思い出してくれたに違いないと思った。
ガバチャのひとり言
浩也が勇一の家に行くのに乗った南海電車。ボクもしょっちゅう乗ってます。
和歌山市駅から加太までの枝線です。
10年ほど前は大阪まで通勤しました。毎日乗ってると同じような場所に同じような人が座ってて、習慣ってあるよなと思いました。
その頃ランドセル背負って車内を走り回ってた小学生たちが成人かと思うと年月を感じます。今も乗ってるのかもしんないけど子供から大人になったらさすがにわかりませんね。
でも、大人は全然変わっていない人がいます。40才から50才ぐらいのおじさんおばさん。この年代あたりで進化が止まるのか。それとも必死に抵抗してるのか。
そんな目でみてたら、向こうもボクのことジロジロ見てました(笑)
この電車、廃線の話もあるようですがいつまでも残って欲しいものです。
話したこともないけど懐かしい人に会える貴重な場所ですからねぇ。
次の写真は和歌山市松江の一角です。
高度成長期、松江は住友金属の城下町として栄えた。鉄を作る住友金属はとにかく水涸れしない土地を日本中探してこの紀ノ川の河口を選んだ、らしい。
九州などから炭坑の閉鎖に伴うこの地への移動が盛んに行われ、九州人街なるものもあったそうだ。「べっぷ」などという店の看板がそんなことを物語っているようでもある。
そうやなぁ昭和五十年ぐらいはここいらもそらぁ賑やかでしたよ、とタクシーの運転手さんが当時を振り返える。
ボクの家内の両親も九州の出身です。義母は長崎。手作りのチャンポン麺は絶品です。家内にその味を覚えて欲しいと思っているのだが、いまひとつ追いつけない何かがある。
でも、チャンポン麺以外は家内の料理が勝ってきたような気もする。と、ブログを時々チェックしている家内にサービスでもしておこう。
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