鮎釣り師ガバチャのひとり言

釣りあげた鮎で仲間と酒を飲む   これ人生のユートピア!


    何気ない日常の出来事

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    なんかまた変異株がジワリ迫ってきているようで
    やな感じなんですけど・・・。

    正月休みに影響がないことをお祈りいたします。
    元気で帰って来いよ。
    2021070619170600

    また、どっか連れて行ってあげるかんな。
    2021092008210600

    矢野顕子の「風太」って曲を聴くと思い出すんだな・・・

    風太 (作詞・作曲:矢野顕子) 曲名は矢野誠との間にもうけた長男の名前より。 琴の合奏が特徴的である。 丘を越えて (作詞:島田芳文 作曲:古賀政男) 藤山一郎の曲のカバー。 この矢野バージョンは、映画『卓球温泉』(1998年)の主題歌に用いられた。 ふなまち唄PartI (作詞・作曲:矢野顕子)
    7キロバイト (920 語) - 2021年9月10日 (金) 06:29



    【年末にコロナ感染拡大すんなよ】の続きを読む

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    この前、釣りキチさん子が彼女手作りの鮎の炊き込みご飯をくれたのですが
    これが美味し過ぎて感動しました(*´ω`)

     鮎はあまり好んで食べないガバチャも
     こいつならドンブリバチてんこ盛り3杯でも食べられそうです(^^♪

     これは間違いなく売れますよ。
     道の駅とかで十分土産物の商品として通用します!

     あるいはローソンの期間限定おにぎりでも売れますネ。
    「釣りキチさん子飯」というブランドで売ってみてはいかがでしょうか?
    20211128_202544


    ガバチャがローソンと交渉するので仲介料はこのズガニっつーことでどうでしょうカニ( *´艸`)
    20211128_201132_HDR

    このズガニもその時に一緒にいただいて完食でした。
    3品目のオデンだけは翌日に温存しておきましたけど。
    20211128_201217_HDR

    それにしても釣りキチさん子恐るべし。
    この前あげたグレもこの通り料亭レベルに仕上げられているし・・・
    ちなみにあの中で一番大きなグレはマジカル・モリケンの釣り上げたもんでしたけど。
    received_477280500379772


    とにかくあの料理の鉄人の道場六三郎も真っ青レベルなのじゃー!
    オフは釣りキチ三子じゃなくて道場六三子と呼ばせてくだせー( *´艸`)

    あっ今日のテーマはナ・マ・ズ
    received_455813322498177 (1)

    えっ ナマズ?
    この前は「ウグイ」やったし・・・いつか「ヘバ」とかもくるんじゃないやろか・・・まいったな~
    S1526315182466_1_jpeg



      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
     昭和49年当時

     私たちの中学校の窓ガラスって細い木枠に板ガラスが挟まれたものだった。

     ある日校内の一斉清掃があり、私は一年生の教室の下で友人らと馬鹿話をしながら草をひいていた。
     一年生の教室は二階にある。
     その二階では下級生たちが窓ガラスを拭いたりしていた。

     突如、アッと言う複数の声が頭上で響いた後私は背中に無数のハリで刺されたような衝撃と痛みを感じてそのままずくまった。

     周りの生徒が集まってくる足音が聞こえる。
     女子のキャーッという悲鳴も聞こえた。

     私は自分に何が起こったのかその時はわからなかった。

     誰か早くK先生を呼んで来い!
     担任の教師の声が響く。

     後でわかったことなのだが、下級生が拭いていた二階の窓ガラスがハズレて落下し私の背中に落ちたらしい。

     運よくガラスは私の背中に水平に落ちた。
     がもしこれが垂直になって首にでも当たっていたらと考えるとゾッとする。

     K先生は駆け付けた時は事態を見てパニックだったそうだが、私にたいした怪我がないことを確認すると安堵し陽気を取り戻した。

     私は保健室に運ばれK先生から背中に赤チンを塗られた。
     K先生は赤チンを塗りながら、良かった良かったと喜んでいるのか泣いているのかわからないような声を上げていた。

     これが私とK先生の出会いである。

     K先生は短大を出て着任したばかりで私は顔を合わせるのが初めてだった。
     私は15才でK先生は21才だった。

     一時間ほど保健室で寝かされてK先生といろんな話をしたが、話の内容は覚えていない。

     それから教室に戻ったらみんなに囲まれて、大丈夫か? お前死ぬとこやったな、などとさんざん言われながら私は友人からシャツをめくられて皆に背中を見せた。
     
     そしたら一斉に笑いが起こる。

     私には何で皆からそんなに笑われるのか意味が分からない。

     おぃなんで笑うんや?
     と横の友人に聞いたら

    「おまえ、K先生とデキたやろ」
     って。
     するとまたクラス中がドッと沸いた。

     私の背中には一面赤チンが塗られていたのだが
     それが大きなハートマークになっていたのだ。

     それから私はK先生を好きになった。
     K先生は少し背は低いが端正な顔立ちでグラマーだった。
     でももちろん私の方が一方的に憧れていただけで何事もなく別れはすぐに来た。

     私は卒業をして町の学校へと進みK先生は他所の学校に転勤してしまった。

     それから五年が経って安芸市内でK先生にばったり出会った。

     私の方はK先生だと一目見てわかったのだが
     K先生の方は中学校の時の坊主頭ではなくちょっと大人になった私を見て
    「えっ? あなたFくんなの?」
     と大きな瞳をパチクリさせた。

     それから喫茶店で久しぶりに話をした。

     先生は結婚をしていなかった。
     当時は結婚は20代前半にするのが普通だったので、なんで先生みたいな綺麗な人が結婚しないのか不思議に思い尋ねてみた。
     先生は口元を緩めると

    「わかんないの。F君のことをずっと待っているのよ」
     と、言って吹き出した。
     ところが私は本気に受け止めてしまい

    「先生、ボクこの3月に就職で和歌山に行くことになったんです」
     そう打ち明けると先生の笑いが止まった。

    「えっ、和歌山に行くの・・・高知から遠いわね」
     事情を話すと

    「まぁ、良いところに就職が決まって良かったじゃないの。おめでとう・・・」
     一寸だけ会話に空白ができた後に先生はポツリと口を開いた。

    「あたしも和歌山に行こうかな~、飛梅みたいに」
    「トビウメ?」
    「そぅ飛梅よ。一夜で都から太宰府に飛んだ。習わなかった?」
    「そんなん習ったっけ?」
    「じゃあF君さぁ、さだまさしの飛梅って曲を聴いてみなさい。先生の気持ちがわかるから」
     そう言いながら先生は細めた目を遠くにやり、なぜか唇を少し噛んだように思えた。

     私は和歌山に行ってからK先生を秘かに待った。
     でも先生からの連絡は何もなかった。

     毎日さだまさしの飛梅を聴いてはその詩を理解しようとした。

     もしかしたらK先生は私と最後に会った日に、実は他に好きな人がいてその人との恋がうまく実らないことになっていたのではないだろうか。

     K先生とはそれっきりである。

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    増水で和歌山市内からホイホイと鮎釣りに行ける川はありません。
    タイミングよくマーゴが帰省したので白浜のアドベンチャーワールドにパンダ見物に。
    20210704_100859

    パンダは固そうな竹をパリンパリン食べていました。
    こんなんで生きていかれるんやったら
    ガバチャもパンダに生まれたらお金貯まるんやろなって・・・(;´∀`)

    赤ちゃんパンダは長蛇の列で断念デース。
    20210704_123512_HDR

    そのマーゴの大きさはまだペンギンのボスと同じぐらいでしたヨ~( *´艸`)
    20210704_123147

    ワールドサファリではホワイトタイガーとか見てかなりビビっておりましたけどー( *´艸`)
    20210704_105930

    雨が降らなかったのは幸いでしたが
    最後らへんはマーゴが疲れてしまったのかダッコのしっぱなしで
    20210704_124708_HDR

    ヘロヘロになって帰宅したら
    こんどはシャボン玉で遊びたいとか・・・( ゚Д゚)

    ハッキリ言って鮎釣りの数倍は体力を使い
    じぃじの腰はミシミシきしんで明日ポッキリ幸せの真っ二つかもデ~ス(T_T)
    20210704_155510

      このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
    鮎釣りでおにぎりばかり食べていたので
    久しぶりに和歌山ラーメンが食べたくなって行ってみたら
    店のお客さんの間で話題になっていました。

    関空の連絡橋からの飛び降りについては私も先だってニュースで見て知っていましたし
    私は10年ほど前は関空で働いていたのでこの連絡橋を毎日車で渡って通っていました。

    しかし、狭いラーメン店の中で聞こえてくるその話の内容に
    えっ! って一瞬ラーメンをすする箸が止まりましたわ。

    ほんまかいなっ?
    このことについては全然知りませんでした。

    例の和歌山カレー事件は
    私の家からそう遠く離れていない街なので
    当時は近所でもけっこう話題になっていたことを覚えています。

    和歌山毒物カレー事件(わかやまどくぶつカレーじけん)とは、1998年(平成10年)7月25日夕方に和歌山県和歌山市園部で発生した毒物混入・無差別大量殺傷事件である。地区で行われた夏祭りにおいて提供されたカレーライスに毒物が混入され、カレーを食べた67人が急性ヒ素中毒になり、うち4人が死亡した。和歌山カレー事件とも呼ばれる。
    73キロバイト (10,589 語) - 2021年6月15日 (火) 13:10



    (出典 livedoor.blogimg.jp)



    1 TUBEWAY ARMY ★ :2021/06/14(月) 14:59:05.59

    2021.06.13 16:00
    https://www.news-postseven.com/archives/20210613_1668023.html?DETAIL


    (出典 www.news-postseven.com)

    最近、再審請求が受理されたばかりだった(共同通信社)

    6月9日午後、大阪府泉佐野市の関西国際空港連絡橋(関空連絡橋)から母子が飛び降りて亡くなった一件が、急展開を見せた。橋の近くの海上で浮かんでいるところを発見され、その後、搬送先で死亡が確認されたのは、37歳の女性とその次女と見られる 4歳女児。この37歳女性が、1998年に起きた和歌山毒物カレー事件の林眞須美死刑囚の長女だったことが報じられたのだ。

     橋から飛び降りる約2時間前には、和歌山市内にあるこの女性の自宅で、16歳の長女が心肺停止の状態で発見され、病院に搬送されたものの、その後死亡が確認されていた。

     6月13日付のAERA dot.は、和歌山カレー事件に関連した詐欺容疑でかつて逮捕された夫の林健治さんに取材、〈(16歳の)Bちゃんは(37歳の)長女Aの娘、ワシと眞須美の初孫やろ、居ても立っても居られずに警察に行った。捜査の担当者と話したが、まだ捜査中で、ハッキリとは言えない様子だったが、1時間近く話をした。自*たのはうちの長女で一緒に亡くなったのは(4歳女児の)Cであるのは間違いないようだ」(カッコ内は編集部加筆)との証言を報じた。

     当日の様子を振り返ろう。

     37歳女性は、6月9日午後2時20分ごろに自宅から119番。「家に帰ってきたら娘の意識と呼吸がない。血みたいな黒いものを吐いている」と通報した。消防が駆けつけると、倒れている16歳女児のほかに、この37歳女性と4歳の次女、そして女性の夫の4人がいたという。

     救急車には夫が同乗。取り乱した様子だった女性は、4歳次女とともに行方がわからなくなっていた。その後、午後4時頃に関空連絡橋から飛び降りたとみられている。

     長女の死因は全身打撲による外傷性ショックで、腹部には打撲痕があったほか、全身に複数のあざがあったとも報じられている。過去には虐待を疑われ、児童相談所に通報されたこともあったという。前出の健治さんの証言にある通り、この16歳長女が、林眞須美死刑囚から見れば初孫ということになる。

    奇しくも3人が命を落としたこの日、林眞須美死刑囚の弁護人が和歌山地裁に再審請求を申し立てていたことが報じられた。共同通信(6月9日付)によると〈林真須美死刑囚(59)の弁護人を務める生田暉雄弁護士は9日、和歌山地裁に新たに再審請求を申し立てたと明らかにした。5月31日付。「第三者による犯行は明白で、林死刑囚は無罪」と主張している〉という。再び和歌山毒物カレー事件に注目が集まる中で、亡くなったのが林眞須美死刑囚の長女と孫だったことがわかったわけだ。

    自らの長女と孫2人の突然の死について、大阪拘置所にいる林眞須美死刑囚は何を思うのか。6月10日、林眞須美死刑囚と面会した50代の親族が明かした。


    (出典 www.news-postseven.com)

    毒が入ったカレーはこのように鍋に入れられていた(現場検証を前に報道陣に公開された夏祭り会場の再現現場。時事通信フォト)

    「面会時間は15分でした。最初に長女のことを伝えようと『警察から何の連絡もないし確証はないが、実は長女が……』と切り出したら、『そんな暗い話はいらん』とバーンと一蹴されました。普段から短い面会時間で家族の話を聞きたがらなかったので、聞く耳を持ってくれませんでした。それっきり話すタイミングを逃してしまいましたが、途中でまた長女の話になったので、『関西空港の連絡橋から落ちたらしい』と話しました。眞須美は少し不安げな表情でしたが、とくに慌てた様子は見せず、何も言いませんでした。確実なことがわかったらすぐに知らせると言いましたが、孫たちも亡くなっていたという情報は伝えられませんでした」

     林眞須美死刑囚の長女は、毒物カレー事件が起きた当時は中学生。両親が逮捕されてからは、3人いる弟妹の面倒をよくみていたという。

     親族が続ける。

    「長女は僕に対し、(林眞須美死刑囚について)『もう出てこんでええわ』『会いたくもない』と言っていたけれど、それは本心じゃないと感じていました。芯がしっかりした子で、きょうだいの中でも一番強い子。波乱万丈の中で生きてきていますからね。今回、念のため長女の携帯電話にかけてみましたが、繋がらなかった」

    後略


    (出典 www.news-postseven.com)

    1998年撮影。右下の空き地は毒物カレー事件の現場。


    【この話にはちょっと驚きました!】の続きを読む

    このページのトップヘ