数日後、帰宅すると食台の上に書き置きがあった。
「用事でちょっと出かけてきます。九時には帰るので、鍋のカレーを温めて食べてください」
その日、スナックは休みだった。
隆三と会っているのではないのかと嫌な予感がした。
何気なく、カーテンの隙間から外を見た。月明かりが団地の山側の樹木を照らしている。見上げると真っ白な満月が輝いていた。浩也は、冷め切ったカレーを温めて食べた。浩也は夕べの徹夜が堪えて、カレーを食べると直ぐに眠気が差した。
目が覚めたら夜中の二時を回っていた。何故か母は帰っていない。浩也は熟睡していたので、母が一度帰ってきたかどうかもわからなかった。またどこかにでも行ったのだろうか。浩也は心配しながら朝までまどろみもせず待ったが、母は帰ってこなかった。
その朝、乗員のいない漁船が発見された。漁船は加太の潜水士、貴志隆三の隆栄丸と判明した。前の晩、隆栄丸に隆三と友子が乗り込むのを地元の漁師が目撃していた。また、その船が友が島の方に進んで行くのを釣り人が目撃していた。しかし、隆栄丸が発見されたのは正反対の雑賀崎の沖だった。
一週間経って、埋め立て護岸のテトラポッドに漂着している隆三の死体が発見された。 死因は溺死だった。
だが、南本友子は見つからなかった。友が島での捜索も行われたが母は見つからなかった。
巷では心中だと噂された。
それは事故の可能性が全く見あたらなかったからである。
当日の天気は波もなく良好で、おまけに満月の夜で薄明るかった。
船には傷ひとつ無い。
アンカーを降ろした形跡もなく、エンジンも止められていて忽然と人間だけが消えていた。
浩也は、居なくなる前の母との会話を反芻した。
明るくさばけた態度で祖父母との焼き肉会食まで口にした母が、隆三とのことで自殺を選ぶなどと言うことはとうてい考えられない。
母が居なくなってから浩也は、松江にある母の実家に預けられた。
事故から二週間が経っても何の手がかりもなかった。浩也や祖父母らは憔悴していた。
自殺ではなく原因は他にある、そう思ったが皆目見当がつかない。
浩也には心の持って行き場がなかった。
どこかで生きていて欲しいと思いながらも、半ば諦めの気持ちに押されつつある浩也は、もしや母が今も茫洋とした海原で彷徨っていると思うと、居ても立っても居られなくなった。
浩也は、貴志隆三の息子勇一を訪ねるしかなかった。
浩也は祖母に西脇にある貴志家の場所を訊くと一人電車に乗った。西脇は松江から電車で十五分ほどの距離だ。浩也は二里ヶ浜の改札を出ると祖母に言われたとおりの道を歩いた。
五分ほど歩くと潮風の吹き付ける松林の横に、見上げるほど立派な瓦屋根を張った家が見えた。貴志の家だ。
浩也は勇一に会うのは初めてだった。隆三の顔を想像しながらチャイムを押した。
ガラリと玄関が開くと、恐ろしく大柄な男が現れた。
「あ、あの、貴志勇一さんでしょうか」
「そやけど」
勇一が怪訝そうに浩也を見下ろす。
ギラリと光る釣り目が隆三とそっくりだ。
筋肉で盛り上がった赤銅色の腕がティシャツの裾を広げている。無精髭のせいなのか、高校二年の浩也と二歳しか違わないはずなのに、既に大人のような感じだ。
「僕は南本友子の息子です。二人がどこに行っていたのか知りませんか?」
一瞬で勇一の顔色が変わった。
「お、おまえ馬鹿かぁ。ワイが知るわけないっしょ。 だいたいお前のおかんにそそのかされてこんなことになったんやっしょ。ええかげんにしくらせ!」
勇一の怒声が鳴り上がった。
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ガバチャのひとり言
小説「神無月の頃」の舞台となる和歌山市は紀伊水道を隔てて地図で向かって左に四国の徳島県、上方の北側に大阪府の大都市圏を有する。
航空写真で見ると市街地を蛇行する大きな紀ノ川が確認できる。その北側には緑色の和泉山地が連なり向かって左側に、ヘニョッとした眉毛みたいな友が島が浮かんでいる。
友が島は二つの島からなり、向かって左が沖の島、右が地の島という。
隆三と友子は隆栄丸に乗って友が島に向かったと見られるが、隆栄丸が発見されたのは紀ノ川河口の南側にあたる雑賀崎付近だった。
このあたりの潮流は満ち潮で大阪湾側に、引き潮で太平洋側にと南北に動いている。友が島付近はちょうど大阪湾と紀伊水道の「くびれ」になっており潮流は川のように速く流れている。
ガバチャも何度かボートに乗せてもらってこの付近を通りましたが、いつも船が大きく揺れて怖いワ吐きそうになるワの連続でした。
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