私には三歳の頃の記憶がある。
モノクロの山の風景。
草の生い茂った山道を母の背のぬくもりを感じながら登っていく。
突如、首の後に激しい痛みを感じた。
「ダニや」
取ってくれた母の指先に真っ赤な血がついている。
夕焼けの山すそから大人の男達が数人降りてきた。
私は一人の男に高々と抱え上げられ振り回された。
それがきっとまだ20代前半の父だったのだろう。
その話を母にしたら驚いた。
「妹の生まれた年やからあんたはまだ三歳やがね」
徳島の木沢村と言うところに木の切り出しの仕事があり、私の住む高知の馬路村から腕利きが数人選ばれ半年ほど山ごもりをしたらしい。
そこに若きオヤジが選ばれて、母はカシキと呼ばれる飯炊き係として山小屋に行くことになった。
当初、私はそこに行く予定ではなく、生まれて間もない妹とともに馬路村でお祖母ちゃんに面倒を見てもらうことになっていた。
ところが、私がどうしても一緒に行きたいとだだをこねて仕方がなかった。それで父も母も仕方なく私を遠い徳島の山奥の山小屋に連れて行くことになったとのことだ。
私は両親はもとより、一緒に行っていた山師のおっちゃんたちにかわいがられ、山里の学校からは小さな子供がいるという話を聞いて、小学校の女の先生が時々遊びに来てくれて歌などを教えてくれていたらしい。
その辺りの記憶がひとかけらもないのが少し残念なところだ。
そのようなことで、成人した私は徳島の木沢村と言うところがずっと気になっていた。が、仕事も忙しく遠距離の山村故なかなか行く機会がなかった。
やっと10年前に一人車で訪れたが、私の記憶を呼び起こすものは何一つ見つけられなかった。ま、こんなもんかなとそばを流れる渓谷に足を浸して帰ってきた。
春先になると毎年
「今年こそアマゴ釣りに行くぞ」
と思いつつ仕事が立て込んで行けなくなる。
今年こそ、と思って今日渓流釣りの好きなTくんに久しぶりに電話してみた。
「おい、四国でどっかええとこないか?」
「ありまっせ。僕も去年初めて知った場所ですけどね」
Tくんはずっと高知県の川に行っていたらしい。が、去年偶々道に迷って出くわしたのが徳島のある渓谷だったという。
「えーと、剣山(つるぎさん)の南側なんですけどね・・・」
とグーグルを見ながら電話の向こうでその場所を捜しているようだ。
「ああ、あったここここ。徳島の木沢ってとこですよ」
「えっ」
話を聞くと、私が10年前に訪ねた場所だった。
「すごく渓谷がキレイで今まで行った中では最高でしたね。ぜひお勧めしますよ」
と言われた。
わかった!
木沢が再び私を呼んでいるんだな。
行ってみよう。
竿を伸ばしてきれいなアマゴを釣り上げたら、私の幼い頃の思い出まで何か引き釣りあげることができそうな気もしてくる。
そういえばこの前の職場の懇親会で話題になっていたっけな。
今年の連休に新採君がひとりでネパールとかに自分探しの旅に行ってくるのだと。
「なところに自分がいるわけねえだろっ」
と酔っ払った年配者に一蹴されて皆から笑われてたけどさ・・・。
今年ガバチャは、徳島の木沢に自分探しの旅に行って来ます。
そう、齢(よわい)60の声を聞く前に。

