自分の出生がどのような先祖とつながっているのかを知ることに
なぜか還暦を過ぎた今急に興味が湧いてきた。
それはこれまでも何度か両親に尋ねたことはあるが、話したがらないし、祖父母に訊いても同様だったのでいつしか訊くことを控えるようになっていた。
私は小学生の頃から、自分の家庭は他の家庭と様子が違うと思っていた。
それは、私の実父の父つまり祖父と、実母の母つまり祖母とが夫婦なのだ。
じゃあ、自分のお父さんとお母さんは兄妹同士で結婚をしたの? ということになる。
その謎は大人になって解決できた。
離婚をした連れ子を持った男と離婚をした連れ子を持った女が結婚をし
その男の方の連れ子の長男と女の方の連れ子の長女が結婚をしたのである。
それが私の両親ということになる。 その祖父と祖母各々の離婚に際しては未だに謎であるが
最近やっと少しだけ知りえた話からは、どこにでもありそうな男女のもつれが容易に想像できるのである。
その舞台は私が生まれた高知県馬路村ではなく、徳島県木頭村折宇(おりゅう)の中内という山奥の集落に端を発した。
昨年の11月、戸籍より明らかになった私の全く知らない土地「中内」とは。
私は先祖に導かれるように去年の暮れに初めて徳島の中内を目指した。
が、道が途中で崩れており通行止めで断念をした。
地元の人に訊くと、集落は引き上げて誰もいないが数軒の廃墟が残っているとのことだ。
もともとは高知と徳島の県境四つ足峠の徳島県側にある北川地区の「平」というところに集落ができたそうだ。
これはその昔香川の壇ノ浦で源平合戦があり、敗れた平家の落人が逃げ延びて暮らし始めたとのことで、平神社なるものがあったり、平川、中平など平という漢字がついた苗字が多かったりする。
中内という集落はここからさらに山奥で、源氏の追ってから身を隠すために住処を求めたものと考えられる。
恐らく私の先祖はそこで家系を繋ぎ、戸籍の最初にある明治の先祖から祖父の時代へと連綿と貧しい暮らしを続けてきたものと思われる。
ここで、私の出生に最も影響のある出来事が起こった。
それは次男である祖父、おそらく当時は未成年、がひとりだけ山を越えて高知県側の魚梁瀬という土地に移り住んだのである。
ひょっとしたら家族の反対を押し切っての家出と言ってもいい出来事だったのかもしれない。
魚梁瀬は剣山のふもとにある山深いところだが
国有林の伐採で多くの労働者が集まり賑やかで活気のある村だった。
そこで一人のずば抜けた美人Yと出会うことになる。
それが私の父の実母だ。
祖父はその美人Yと5人の子供をもうけ離婚をした。
いや正確には、その美人Yは私の父も含む5人の子供を捨てて他の男と逃げたのである。
一方、祖母の方は三人の子供をもうけて主人は女がらみのいざこざで自殺をしていた。
発見されたのが大阪駅というよくわからない出来事である。
そして驚くことに祖母は逃げた美人Yの姉なのである。
つまり祖父は逃げた妻である美人Yの姉を2回目の結婚相手として選んだのである。
一家は、どのような経緯でかはわからないが、高知県馬路村に居ついた。
祖父の連れ子が5人と祖母の連れ子が3人の合計10名。
古民家で暮らすうちに祖父の長男と祖母の長女が結婚をして、私と妹が出生することになる。
月日とともにやがて叔父や叔母は成長して一人ずつ都会へと出て行った。
私が小学校に上がる前ぐらいには、家には祖父母と私たち家族4人の6人住まいとなっていた。
広い台所にはうどんを作るための大きな製麺機が置いてあり
毎朝、その機械の音で私は目が覚めた。
母は朝9時頃までに仕上げた袋詰めのうどんを自転車の後ろに積んで村の店に卸したり
時には私の手を引いて直接あちらこちらの集落まで売りに歩いていた。
私はこの時に、うどんを買ったお客さんからあめ玉などをもらうことが楽しみだった。
ここまで書いて思うのは
私の出生に際しての最もインパクトなエピソードは
冒険心に満ちた祖父が、単身で四国山脈を越えて徳島から高知に移り住んだということである。
確かに自分もどこか祖父のようなアドベンチャーな精神があるようにも思う。
果たして、最新の末裔に当たるマーゴが
いつかこのブログの記事を読んでくれる日が来て
自分も似てるよな~って思う時が来るのでしょうかネ‥‥‥。
ジイジ的には冒険も節度を持って行い
ありきたりの素朴な幸せをつかんでほしいと思っていますけどね(*´ω`)
あとひと言だけ
女には気を付けろや‥‥‥( *´艸`)
軽トラ リフトアップ



