「自分探しの旅に出かけてきます」
 そう言って、最近の若者は海外に渡航するらしい。
 世知辛い世の中にあって、自分を見失っているからかもしれない。
 
 私も若者に習って、自分探しの旅に出たいと思う。
 が、私の場合の「自分」は、海外では見つからない。

 過去へのタイムトラベル。
 そこで、郷愁の中にはじける自分を探し出すことが発見への手がかりとなるだろう。
 果たして自分スタイルがどのあたりから始まったのか。

 ちょっくら探しに出かけてみます。

 昭和40年代の高知県安芸郡馬路村にロックオン!!



[しょっぱい友情]

 小学校低学年の頃、痛い目にあったことがある。

 近くの廃屋にあった 一抱えもあるスズメバチの巣。
 いつもの悪ガキ5人で、その巣に向かって石を投げては逃げ隠れしていた。
 バウムクーヘンが歪んだような模様が崩れ、スズメバチがいきり立つ。

 何投目かの石が根元に命中し、タン、コロコロッと巣のかけらがボクらの目の前に転がってきた。

 度胸のある奴が、わーっと言ってサッカーボールのように蹴り上げる。
 そして、一目散だ。
 
 大人から、刺されたら死ぬと聞いていたボクらは必死で逃げた。
 が、一番足の遅いボクは、慌てて石ころに蹴躓いた。

 転倒した直後、背中に3匹のスズメバチが針を刺す。
 グギエ~ッ、未曾有の痛さにエビ反って大悲鳴だ。

 友達らがワーっと言って棒を振り回しながら戻ってき た。
 ボクは泣きもせず、痛さをこらえてこれで死ぬんだと突っ伏していた。

 誰かが泣きながらボクのシャツをめくった。

「早よう! アンモニアやーっ」
 絶叫の中、背中に冷たいものが一斉に降り注ぐ。

 えっ と首を回して見上げた光景はなんとも惨めだったが、命が助かるのならと甘受して堪えた。

 全員から「死ぬな~死ぬな~」と泣きむせんで小便をかけらた。
 ボクは「ありがとう。ありがとう」と連呼し号泣した。

 物心つくまでボクはその小便で死ななかったと思っていたし、かけたみんなもボクの命を救ったのはあの小便のアンモニアだと思っていた。

 みんなアホだったけど、しょっぱい友情で結ばれていたよなあの頃、っと今もそ の友人たちに感謝しているしだいだ。






[オナゴリはつきません]

 道ばたに桃の花がほころんでいた。

「桃の花、匂う三月、おなごりはつきません」
 ボクの小学校では、卒業式で六年生を送る言葉を、下級生が台詞をつないでやっていた。

 ボクの台詞は「おなごりはつきません」のところだった。

 練習の時ちゃんと聞いていなくて、どんなんやったっけーと「おら・・げりはつきません」とか適当に言ったら、ブー教頭から「こらぁ オナゴリ、ちゃんと言わんかぁ!」とドス声で叱られた。

 ボクはオナゴリと呼ばれ、何度も練習させられた。

「声が小さーい」と言われたので、快活に「おなごりはつきませーん!」と大声でやったら「そん なに元気に言う言葉じゃなーい」とブー教頭がまた怒鳴る。
 ボクはブー教頭に恐る恐る聞いてみた。

「あのぉオナゴリってどんな意味ですか?」

 ブー教頭は目を剥いて「ええ、意味ぃ、ん~意味はなぁ・・・・・・お、おい、誰か教えたったれ」と周りにいた若い先生に慌てて振った。

 先生の1人が「えっと・・、別れは悲しいけどさ・・、悲しそうに別れないってことだよ・・な」
 とかなんとかボソボソ言って自分で首をかしげていた。

 やっぱりよく分からなかったが、コワイ上級生がいなくなって嬉しいだけなのに、なんだと思った。

 翌年、ボクたちが送られる時、オナゴリに当たった下級生がブー教頭に同じようにいじりたおされていた。

  今から思うと、あんなの小学生の使う言葉じゃない。
 そんなあの頃に、おなごりはつきませーん、だ。





私の故郷は高知県の馬路村です。
ポン酢醤油とごっくんというゆずのジュースで名を馳せました。
機会があれば是非一度おいでください。
うちの親父が、馬路温泉の前のミニ森林鉄道で運転手をやってます。
私も10年後は、ミニ森林鉄道の運転手やってるかもしれません(笑)