幼い頃、毎朝ゴォーっという機械音で目が覚めた。
 その音はうどんを作る音だった。

 我が家はボクが小学校の一年か二年の頃まで製麺屋をしていた。
 大きな車輪のついた機械から細く切られたうどんがザーッと流れ出てくるそばで、母と祖母が世話しそうに働いていた光景が目に焼き付いている。

 大きな包丁で切られたうどんは、ボクが入れる程どでかい釜でぐつぐつと煮立てられては引き上げられ水で洗われた。
 そのうどんをナイロン袋に入れて、ハンダごてのような特殊な器具で加熱しながらナイロン袋を閉じる。

 ボクと妹はその工程を寝ぼけ眼で毎朝見ていたのである。
 できたうどんは自転車の後ろの木箱に詰められ、母はそれを小さな山村の中で売り歩いていた。

 きっと、ボクが小学の高学年頃になっていたら恥ずかしくてその母の行商について行くなどとは言わなかったのだろうが、幼いボクは母と一緒にうどんを売りに行きたいとよくせがんだ、らしい。

 そのうどんの思い出にひとつ不思議なことがある。
 原料のうどん粉のことだ。

 うどん粉は町から車に乗ったオッチャンによって夕方運ばれてくる。
 車の音がするとボクと妹は珍しがってオッチャンの元に駆け寄っていた。

 うどん粉は大きな紙製の米袋に入れられている。
 それを母が開封するときいつも妹と奪い合うようにしてうどん粉の中に手を突っ込んだ。

 何故か。
 そのうどん粉の中にいつも飴が十個ほど入っていたのだ。

 あっ、あったあったと飴をつかんでは妹とせわしくうどん粉を払って喜んだ。
 お菓子のあまり無い時代に、ボクらはその甘い飴が待ち遠しくてたまらなかった。

 あれは何だったのだろうかと思い出すのだが、やはりそのオッチャンが仕掛けたボクと妹への遊び心だったのではないのかと思う。

 そんな記憶をひもとくうちにあることを思いついた。
 そうだ、うどんを自分で作ってみようひらめき電球

 年末には和歌山のボクの自宅に高知から両親が来ることになっている。
 母に、ボクがつくったうどんを食べさせてあげよう。

 さて、このガバチャの思いつき親孝行プロジェクトは成功するのか!?
 続きは、明日だぁにひひ



 うどんをつくるための道具をホームセンターでそろえました。
 約5000円の投資目

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 うどん粉と打ち粉も購入。
 打ち粉とは練ったうどん粉が手や道具にくっつかないための分離材の役目をする、らしい得意げ

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 ひなたぼっこのクルミにこのプロジェクトの話をしたら、無視されたガーン
 知らんぞぉ、後でガバチャのつくったうどん食べたいってニャーニャー鳴きまくっても得意げ




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