人は自分の思っていることを相手に正確に伝えることができない、ときがある。
 そればかりか、全く逆の意として伝えてしまうことだってある。

 伝えたい人に伝えたいときだけ、自分の真意を質と量で現せられるのならどんなに便利だろう。心の中からその真意をちょいと取り出して、ほらって見せられたのなら。

 懐かしい人にあって、そう思った。
 いきちがいの多い思春期に、とびっきりの思い出として残っている大切な人に会って。

 でも、まさかあのときと同じ局面になるとは思いもしなかった。
 つまりボクもその人も変わっていなかったということ。未だに袋小路なんて奇跡だよ、って笑いかけたら妙にシリアスな空気が鈍器のように振り下ろされた。

 輪郭しか思い出せない、そんな人から今頃になって残酷なストーリーを突きつけられるなんて覚悟していなかった。

 不意打ちかい、ってひとり言をいって、イヤな思い出ならザッパリ裏切り捨ててほしい! と心の中で叫んだ。自分が理解されないのが、みっともないこととは比較にならないほどつらいもんだと痛んだ今日だけでも。

 確かにマッチいっぽんぐらいの温かさで袋小路から抜け出せるって、曲はあった。
 微睡みもせず石物のようにそんな曲を聴き続けたこともあった。

 ネットで探し出して久しぶりに聴いてみる。
 やはり、みぞおちのあたりに弾きかかるピアノの旋律は、ただ自虐心をあおるだけで悲しい曲だ。

 いや・・・・・・、そうでもないか。
 なんだろう、この不思議に素直さが揺れ戻ってくるような感覚は。

 マッチいっぽんぐらいでホントにいいのか?
 絶対ムリだと思わない方がいいのか?

 袋小路で出られないのが、つながっていて「いつか」を得られるプロセスだと信じるべき、と正解させていけるのか?

 何故か、その方が直ちに最良の方法を模索するよりも自分らしい、とこの曲を聴くうち傾き始めた。

 袋小路もまんざらではない、とね。






ポチッとヨロシクダウン
にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 和歌山(市)情報へ
にほんブログ村

超燃える鮎友釣り もヨロシクグッド!

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック