釣り師 來田仁成さんが逝ってしまった。

 來田さんは、週間釣りサンデーの創刊者であり長年にわたって朝日新聞の「とれとれ魚信」を執筆してこられました。

 私が初めて会ったのは20年ほど前です。
 仕事でした。

 2001年に起きた9.11世界同時多発テロ以降
 日本政府はソーラス条約に基づいて港湾区域に立ち入り禁止区域を増設していきます。
 海はみんなのもの、とパブリックアクセスを主張する釣り団体との軋轢が顕在化しました。

 私の役割はまずはその融和にあったと思います。
 全国の釣り団体に影響力を持つ來田さんに会うのは緊張しました。

 のっけから「來田仁成です。クルッタジンセイと読んで下さい」と笑いながら名刺を渡されました。
 が、ニュースステーションで釣り人が立ち入り禁止区域に入った報道が話題となります。

 ぎくしゃくする会話の中で
 私は数日前に思い付いた大阪南港の魚釣り公園での釣りインストラクターによる「フィッシングパークサポーター」の提案をしました。
 來田さんは「おもしろい!」と言ってそこから話の潮目が変わります。

 私たちは大阪府釣りインストラクター連絡機構(JOFI大阪)と共同でミッションを持つことになりました。

 やがて、大阪湾で「青潮」や「苦潮(にがしお)」と呼ばれる
生物を死滅させてしまう原因となる貧酸素水塊のモニタリングを釣り人と一緒にやることにまで発展をしました。

 それは今でも釣り人だけではなく行政や市民団体、民間企業、教育機関など多様な主体の参加と連携で続けられています。

 私は、この機会に当時の來田さんをイメージしてしたためていた拙作を
 今一度「大都会の裏側で」というタイトルで小説に完成させてみたいと思います。


 釣り人と言うと普通は魚を釣ることが目的と思われるかもしれませんが
 來田さんはそうではありませんでした。

 釣りを通じた社会貢献を行うことで、よりよい社会をつくりみんなの人生を豊かにしよう
 という壮大な理念の持ち主であったように思います。

 果たして、來田さんの求めた「鯤(こん)」とは何であったのでしょうか。



 釣り番組で有名だった小西和人さんとたもとを分かったエピソードや
 文豪である開高健との親交の話など、來田さんとの思い出は尽きません。

「ガバチャさん紀伊半島に良い谷がありまよ。一度一緒にアマゴ釣りに行きませんか」
「ええ、今年こそぜひ連れて行ってください」

 フィッシングショー大阪で会うたびにそのような会話を交わして
 一度も行けなかったのが残念です。

 人類が誕生してから亡くなられた人の数と星の数はほぼ同数と言われています。
 來田さんは大きな星になりました。
 これからも我々を見守りより良い方向へと導いてくれるに違いありません。

 來田さんのご冥福を心よりお祈りいたします。