親父が突然倒れて高知の実家に帰っていました。
精密検査の上、大事には至っておらずホッと一息ついているところですが
まだ、二週間は治療入院が必要とのことです。
馬路村と高知市内の病院は70キロほど離れており
年老いた母一人では如何ともしがたいものがあります。
今回はその母が38度の熱を出したさなかに起こった出来事で
我が家では混乱を極めました。
自分は長男だったのだということを今更のごとく考えさせられる次第となりました。
これからのことを少し真剣に考えてみます。
下の写真は
夕食にだされた「えびな」の白あえとあぶらいためです。
子供の頃、この季節になるとそこいらの野山から採ってきてきて母に調理してもらっていました。
その時の味のままです。
根元の白いところにほんのり甘みがあって触感をそそります。
あと、上部は「うど」で酢味噌で味付けしていました。

この季節の定番のタケノコも
ポリポリやりだしたら止まりません。

この日のメインディッシュは次男坊の作った「筑前煮」
うちの家内から教わったと言いますが
家内のより確実に美味かったですわ(*´ω`*)

300円ぐらいのタコをつけてもらって
粗末ながら豪華な夕食。
母から何度も何度も同じ話を聞かされながら
しんしんと夜は更けていきました。

翌日、親父の見舞に空白の日ができ
次男と馬路村のさらに奥まった地域の魚梁瀬に行ってきました。
何年ぶりだったかな。魚梁瀬は。
途中で、ダムを見みました。
これは珍しいロックフィルダム。
地元の山を崩した原石で作ったダムです。


魚梁瀬に行く途中の鉄橋が老朽化のために補修されていました。
なんだかゾッとします。
日本のあちこちにこのような橋やトンネルなどがどれほどあるのでしょう。
インフラの維持管理は地方で暮らす人たちにとっての生命線です。

着いたのが丸山公園。
やはり森林鉄道がありました。
魚梁瀬は日本で青森について日本で二番目に森林鉄道が整備された地域です。
大正時代の終わりごろには、もうシュポシュポ走っていたそうです。
この地域は多雨で天然の良質な杉が育ちました。
それを運搬するための手段として森林鉄道が整備されたのです。

廃線されたのが私が小学に上がる手前だったので
私の記憶にもおぼろげながらこれに乗って町まで出かけたことが
頭の片隅に残っています。
当時町に行くといったら
きっと風邪をこじらせて病院に行くぐらいのことだったでしょう。

そんな思いにふけっていると突然地元の子供らが自転車で現れ
「こんにちは」と話しかけてきます。
今時、都会なら見知らぬ大人に声をかけてくるなどちょっとあり得ませんが。
まぁ、のどかと言えばのどかです。
私たちもこんな純朴な子供だったんだよなと、話がはずみます。
ブランコを漕ぎながらしばし歓談。
聞くと、小学生が15人、中学生が3人とのこと。
ん・・・まぁそんなもんかな。
小学校のグランドに大きな黄色の滑り台があるので滑りに来てください
と言われたのですが、もう時間がなかったので遠慮しました(笑)
また、ゆっくり来ます。

帰宅して母から聞くと、魚梁瀬は人口が200人を切ったそうです。

昨夜遅く和歌山に戻ってきました。
女鮎釣り師KUUから頼まれていた「すし酢」も忘れずに買ってきました。
これを忘れたら解禁であのうまい「祭り寿司」が食べられません。
とにかく去年初めて食べたけどあれはほんまに美味しかった。
今年も楽しみにしています。

で、寝る前にふとカレンダーを見たら
解禁までに休みの日が後二回しかない!
しかも、仕事とかプライベートとかのいろんな予定がぎっしり。
完全にお尻に焦り火が着火いたしました!
ひぃぃい~
とりあえず寝まつぅぅううー

精密検査の上、大事には至っておらずホッと一息ついているところですが
まだ、二週間は治療入院が必要とのことです。
馬路村と高知市内の病院は70キロほど離れており
年老いた母一人では如何ともしがたいものがあります。
今回はその母が38度の熱を出したさなかに起こった出来事で
我が家では混乱を極めました。
自分は長男だったのだということを今更のごとく考えさせられる次第となりました。
これからのことを少し真剣に考えてみます。
下の写真は
夕食にだされた「えびな」の白あえとあぶらいためです。
子供の頃、この季節になるとそこいらの野山から採ってきてきて母に調理してもらっていました。
その時の味のままです。
根元の白いところにほんのり甘みがあって触感をそそります。
あと、上部は「うど」で酢味噌で味付けしていました。

この季節の定番のタケノコも
ポリポリやりだしたら止まりません。

この日のメインディッシュは次男坊の作った「筑前煮」
うちの家内から教わったと言いますが
家内のより確実に美味かったですわ(*´ω`*)

300円ぐらいのタコをつけてもらって
粗末ながら豪華な夕食。
母から何度も何度も同じ話を聞かされながら
しんしんと夜は更けていきました。

翌日、親父の見舞に空白の日ができ
次男と馬路村のさらに奥まった地域の魚梁瀬に行ってきました。
何年ぶりだったかな。魚梁瀬は。
途中で、ダムを見みました。
これは珍しいロックフィルダム。
地元の山を崩した原石で作ったダムです。


魚梁瀬に行く途中の鉄橋が老朽化のために補修されていました。
なんだかゾッとします。
日本のあちこちにこのような橋やトンネルなどがどれほどあるのでしょう。
インフラの維持管理は地方で暮らす人たちにとっての生命線です。

着いたのが丸山公園。
やはり森林鉄道がありました。
魚梁瀬は日本で青森について日本で二番目に森林鉄道が整備された地域です。
大正時代の終わりごろには、もうシュポシュポ走っていたそうです。
この地域は多雨で天然の良質な杉が育ちました。
それを運搬するための手段として森林鉄道が整備されたのです。

廃線されたのが私が小学に上がる手前だったので
私の記憶にもおぼろげながらこれに乗って町まで出かけたことが
頭の片隅に残っています。
当時町に行くといったら
きっと風邪をこじらせて病院に行くぐらいのことだったでしょう。

そんな思いにふけっていると突然地元の子供らが自転車で現れ
「こんにちは」と話しかけてきます。
今時、都会なら見知らぬ大人に声をかけてくるなどちょっとあり得ませんが。
まぁ、のどかと言えばのどかです。
私たちもこんな純朴な子供だったんだよなと、話がはずみます。
ブランコを漕ぎながらしばし歓談。
聞くと、小学生が15人、中学生が3人とのこと。
ん・・・まぁそんなもんかな。
小学校のグランドに大きな黄色の滑り台があるので滑りに来てください
と言われたのですが、もう時間がなかったので遠慮しました(笑)
また、ゆっくり来ます。

帰宅して母から聞くと、魚梁瀬は人口が200人を切ったそうです。

昨夜遅く和歌山に戻ってきました。
女鮎釣り師KUUから頼まれていた「すし酢」も忘れずに買ってきました。
これを忘れたら解禁であのうまい「祭り寿司」が食べられません。
とにかく去年初めて食べたけどあれはほんまに美味しかった。
今年も楽しみにしています。

で、寝る前にふとカレンダーを見たら
解禁までに休みの日が後二回しかない!
しかも、仕事とかプライベートとかのいろんな予定がぎっしり。
完全にお尻に焦り火が着火いたしました!
ひぃぃい~
とりあえず寝まつぅぅううー

























