馬路温泉の対岸にある大石は、ガバチャの幼い日の記憶の最初にあります。
てっぺんに登って滑り台のように滑る。
滑りすぎてパンツをすり切らせ、おしりをすりむいたこともありました。
この下が少し深くなっていて、ちょうどザブンッ感を得るにはもってこいでした。
景色も茹(ゆ)だる幼き日です。
水中眼鏡をすると水の中でも息ができる、などという誰かの間違い話を鵜呑みにして、口まですっぽり装着して苦しんだのはいつの日か。
たぶん、小学生に上がったばかりの頃でしょう。
悪ガキ数人でこの大石の下に潜ってよく魚を突きました。
おびただしいほどの鮎やウグイが、石の中で宝石のようにキラキラひしめいていました。
ある日、上級生がパンツ一丁で現れます。
大きな大人ぐらいのたくましい体。五年か六年生ぐらいだったのではないでしょうか。
僕らの羨望の目を確認すると、その上級生はやおら大石の下に潜りました。
足だけ出た状態。
やがてほとんど足も見えないぐらいに潜っていきました。
かろうじて見えていたつま先の動きが止まります。
すごいと言うより、怖いと思いました。
その上級生は、いつまで経ってもそのまま上がってきませんでした。
誰かが泣き始めたので、自分も泣きました。
泣きながら、やはり水中眼鏡をちゃんとつけたら水の中でもずっと息ができるのではないかと思ったりもしました。
上級生は、僕らを驚かせるには十分すぎるほどの時間をかけて、大石の底から生還しました。
どうだ驚いたか、と言う自慢顔で泣きじゃくる僕らを見て高笑いをします。
この大石の裏側に空中に繋がっている空洞が有り、そこで息をしていたとの種明かしです。
お前らはぜったいにやるな、と今度は目をつり上げて睨まれました。
僕らはウンと返事をして泣き止みました。
そんなことを思い出して釣っていると、その大石の下にオトリ鮎が根掛かりしました。
近寄って、はて?
あの頃、こんなに浅かったっけ、と・・・・・・。
小砂利で埋まったのか、はたまたあの頃の体が小さすぎたのか。
石の斜面を見上げてみます。
50年あまりの時を隔てて臨場した大石。
あの頃の映像が高速で去来します。
人間の脳に過去の映像を映し出させるという点においては、この大石も一種の記憶媒体ではないでしょうか。
子供の頃から自分の芯にある普遍的なものも、この石と共にあるような気さえしてきます。
「釣れたかーっ」
突然、釣り仲間に岸から声を掛けられ、バックツゥザフューチャーしました。
「今エエところやーっ」
そう返して、せっかくエエところやったのに、老いぼれの今に戻すなよ、と思いました。
もう少しここで懐かしく釣らせてくれよな。
と、鮎釣り師のひとり言。
そんな感じで、56回目の夏も静かに終わろうとしています。
あの頃は何が大事かもよくわかんなかったもんなー

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