眠っていた記憶とは、ふと思い起こされるものだ。
 
 有田川の白石の瀬でキャンプをしていたとき、ガチャガチャガチャと突然大きな機械音のような音が聞こえてきた。

 相棒のフルッチもいぶかしげに振り返る。
 二人してしばし首をかしげた。

 どうやら地虫の鳴き声のようだ。
 しかし、何度聴いても虫の音と確定しがたいほど大きく騒々しい。

 この暗闇の薄明かりのランプのもとで、私はこのような音をずいぶん以前にも聞いた覚えがあるように思った。

 それは、人の体温に包まれた生暖かい感触のさなかにある、心地よい記憶だ。
 私は、その頃のことをほとんど覚えていない。

 女の人に手を引かれて山の小道を歩いていた。
 首の後ろにチクリと痛みを感じた。

 女の人に首根っこを押さえつけられると、しばらくして痛みが取れた。
 なにかの虫に噛まれていたらしい。

 見上げると、山頂から大きな木材がワイヤーに吊られて移動している。

 その記憶を母に話すと、それは徳島の木沢村に出稼ぎに行ったときに違いないと驚いた。
 2歳下の妹が生まれたばかりなので、私は3歳と言うことになる。

 母の記憶では、大きな山ダニに首の後ろを噛まれて取ってやったことがあったそうだ。
 父は高知の馬路村で、営林署の木を切る下請けをしていた。

 徳島の方で、難しい木の切り出しが有り、高知の営林署から腕利き数人が選ばれて派遣された。
 母は、「かしき」と呼ばれ る飯炊きとしてついていくことになった。

 私と生まれたばかりの妹は、おばあちゃんに育てられることになったのだが、私が母についていくとあまりにも泣きじゃくるので、仕方なくその徳島の山に連れて行くことになったそうだ。

 祖父母からは最後まで反対されたが、私の泣きじゃくりと駄々のこねかたが尋常ではなかったとのことだ。

 私たちは親子三人、徳島の木沢村の山頂付近で2ヶ月間キャンプをした。
 テント暮らしだったらしい。
 私はてっきり山小屋暮らしかと思っていた。

 母の話では、他の人たちは山小屋で暮らしたが、私たち家族三人は山小屋から少し離れたところにテントを張っていつも寝たらしい。

 事情はわからないが、父も母もまだ 新婚気分の抜けぬ23、4の頃である。
 わからぬでもない。
 水、食料、生活用品は山の麓から定期的に係の者がもって来たそうだ。

「幼い子供がいっしょに来ている」
 と言う話が山里で広がった。

 小学校の先生が、一度私たちのキャンプを訪れたことがあるという。
 本を開いて読んでくれたりして一緒に遊んでくれた。

 私は一切覚えてないが、母の話では「このような小さい子供をこんな友達も居ない山奥でテント生活させるのは性格形成上よろしくない。この頃は、ちゃんとした家に住んで友達と十分遊ばせないといけません。はやく地元の村に返してあげなさい」のようなことを強く言われたそうだ。

 その先生の予感はいみじくも今の自分の週末に 当たってしまっている。

「ガバチャさんは週末は橋の下で寝ている」
 と最近では職場でも言われるようになった。

 この放浪癖は、幼少期のテント生活による性格形成の発露ではないだろうか。
 でも、余生はさらにもっと放浪したいと思っている。

 人生は旅であり旅は人生である、と言ったのは松尾芭蕉だったか。
 そこまで高尚ではなくても、フーテンの寅さんやつげ義春のように自由気ままな旅に憧れる。

 そして、旅先でちょっとイイことがあっても、肝心なときにはきまってコケルと言うのが自分には似合っていると思う。

 人生の下り坂は五里霧中で判然としない。
 が、だからこそ楽しみもあるのではないだろうか。

 そう、ゆっくりのんびり楽しみながら下っていきたい。